『マンキュー経済学 ミクロ編[第3版]』を分かりやすく説明する。Part13
こんにちは!
そろそろ本業も片付いてきたので更新頻度あげていこうかなと思います🙃
今日は第Ⅴ部 企業行動と産業組織
さっそくやっていきましょう!!
第13章 生産の費用
企業が生産物の販売によって得られる金額のことを総収入といい、企業が投入物に支払う金額のことを総費用という。利潤は、企業の総収入から総費用を差し引いたものである。
利潤=総収入-総費用
第1章でみた経済学の十大原理の一つ、「あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である」ということに留意しつつ、それを得るために放棄しなければならないすべてのものを指す機会費用には、2種類ある。
企業からのお金の支出がある投入費用である明示的費用と企業からのお金の支出がない投入費用である潜在的費用がある。
例えば、ものを買い取るために貯蓄から30万支出したとしよう。もしそうせずに、そのお金を5%の利子がつく定期預金に預けておけば、利子を手に入れることが出来る。ものの所有のために利子収入を放棄したことになり、これが潜在的機会費用の一つとなる。
企業の目的である利潤に戻って、経済学者と会計士では費用の測り方が異なるので、利潤の測り方も異なる。経済学者は、企業の経済学上の利潤を、企業の総収入から販売した財・サービスを生産するためのすべての(明示的・潜在的)機会費用を差し引いたものとする。会計士は、企業の会計上の利潤を、企業の総収入から企業の明示的費用のみを差し引いたものとする。
生産関数
投入物(労働)の量と産出物の量との関係は生産関数と呼ばれる。
投入物を1単位多くすることにより生じる生産の増加分を限界生産物という。
投入量の増加につれて、投入物の限界生産物が減少するという性質を限界生産物逓減という。
生産量と総費用の関係を表したものを総費用曲線といい、生産関数と総費用曲線の関係は反対になるといえる。投入物多くなると限界生産物逓減になるため、生産関数の傾きは緩やかになる。つまり、生産量が増加すると総費用曲線の傾きは急になる。
費用の尺度
固定費用と可変費用
総費用は2種類に分けることが出来る。
1つは固定費用、これは何も生産しなくてもかかる費用のことで、給料などが含まれる。
もう1つは可変費用、これは生産量の変化につれて変化する費用のことで、材料代や生産量を増やすために雇う労働者の給料などが含まれる。
平均費用と限界費用
どれだけ生産するか決める時、1単位分生産するのに通常どれだけの費用がかかるのかという質問と1単位分多く作るのにどれだけ費用が増大するかという質問は同じ答えになりそうだが、実は違う。
総費用を生産量で割ったものを平均総費用と呼び、総費用は前述した通り固定費用と可変費用の合計なので、平均総費用は平均固定費用と平均可変費用の合計とも言える。平均固定費用は固定費用を生産量で割ったもの、平均可変費用は可変費用を生産量で割ったものである。1単位分生産するのに通常どれだけかかるかという質問の答えは平均総費用が該当する。
1単位だけ生産量を増やした時の総費用の増加分を限界費用という。
平均総費用と限界費用の求め方は以下のようになる。
平均総費用=総費用/数量
限界費用=総費用の変化/生産量の変化
費用曲線とその形状
総費用曲線は生産量が増加すると傾きが急になることから、限界費用(生産量を増やした時の総費用の増加分)は逓増する。
平均総費用は平均固定費用と平均可変費用の合計で、固定費用は生産量の増加につれて最初は速く、次第にゆっくり減少する。可変費用は限界生産物逓減のために、生産量の増加につれて増大する。はじめは固定費用の減少の方が可変費用の増大より大きいが、次第に可変費用の増大が勝っていくため平均総費用はU字型になる。U字の底は、平均総費用が最小化される生産量となり、効率的規模と呼ばれることがある。
限界費用が平均総費用よりも小さい場合には平均総費用はつねに減少し、限界費用が平均総費用よりも大きい場合には平均費用は常に増加する。限界費用曲線は平均総費用の最小点で平均総費用曲線と交わる。
財の生産量が増加するにつれて長期平均総費用が低下するとき規模の経済が働くといい、財の生産量の増加とともに長期平均総費用が上昇するとき規模の不経済が働くという。生産量が変化しても長期平均総費用が一定のときは規模に関して収穫一定という。
今日はここまで。それでは。
『マンキュー経済学 ミクロ編[第3版]』を分かりやすく説明する。Part12
こんにちは。
今日もさっそくやっていきます。
今日で第Ⅳ部も終わります!
第12章 税制の設計
これまでの章で、ある財への課税がその財の需要と供給にどのような影響を及ぼすのかをみてきた。
第6章では課税によって市場における販売量が減少することをみて、売り手と買い手の間の税の負担が需要と供給の弾力性に依存してどのように割り振られるかを検討した。
第8章では税が経済厚生にどのような影響を与えるかを検討し、課税が死荷重を発生させることを学習した。すなわち、課税の結果生じる消費者余剰と生産者余剰の減少は、政府が得る収入を上回る。
この章では税制の設計を議論するため、課税の基本的原理を考察する。
税と効率
税制の主要な目的は政府収入を得ることであるが、目標とする金額を調達するにはさまざまな方法がある。代替的な税制が多くあるなかからある税制を選択するにあたって、政策立案者は効率と公平という二つの目的を持つ。
同じ額の収入を調達する場合、納税者にかかる費用が小さければ小さいほど、税制は効率的である。納税者にとっての費用として、いちばんはっきりした費用は税の支払いそのものである。しかし、税には他にも以下のような2つの費用がかかり、上手く立案された租税政策は、この2つの費用をなくしたり、最小化したりしようとする。
1.税が人々の意思決定を歪めるときに生じる死荷重
2.納税者が税法に従うときに負う管理負担
効率的な税制とは、死荷重と管理負担が小さいものである。
死荷重
税はインセンティブを歪めるので、死荷重を発生させる。課税による死荷重とは納税者の経済厚生の減少分が西部の収入額を上回ることである。死荷重は人々が売買する財・サービスの真の費用や便益ではなく、税のインセンティブに応じて資源を配分するようになるために、税によって生み出される非効率である。
管理負担
税法に従うために費やされる資源は、一種の死荷重である。政府が手にするのは支払われる税額のみである。一方、納税者は税額だけではなく、記録や計算、または節税に要する時間とお金を失っている。
限界税率と平均税率
所得税の効率と公平について議論する際、経済学者は平均と限界の二つの税率概念を区別する。平均税率とは税額の総額を総所得で割ったもの、限界税率とは所得が1単位増加したときの税の支払いの増加分である。
納税者がどれだけ犠牲になっているかを測りたいときには、所得に占める税の支払いの割合を測る平均税率がより適している。一方、税制がどれだけインセンティブを歪めるか測りたいときには、限界税率の方が意味を持つ。
一括税
すべての人が収入や自分のとる行動に関係なく同じ額を税金として支払うような税を一括税という。
政府が全ての人に一律4000ドルの税を課したとする。所得が2万ドルの納税者にとって、4000ドルの一括税は20%の平均税率になる。所得が4万ドルの納税者にとって、4000ドルの一括税は10%の平均税率になる。
所得が増えても支払う税額は変化しないので、どちらの納税者も限界税率は0である。
人々の意思決定によって支払金額が変わることがないので、課税によってインセンティブが歪められることはなく、したがって死荷重は発生しない。したがって一括税は最も効率的な税である。
しかし、現実の世界ではめったに見られない。その理由は効率は税制の一つの目的にすぎないからである。
一括税は貧しい人からも豊かな人からも同一額を徴収することになるが、その結果をほとんどの人々は不公平だと考えるだろう。
税と公平
必要な財・サービスの一部の供給を政府に頼るのであれば、誰かが税を負担しなければならない。この節では税制の公平について考える。税制が公平であるかどうかはどのようにして評価すればよいのだろうか。
応益原則
応益原則と呼ばれる課税原理の一つは、人々が政府サービスから受ける便益に基づいて税を支払うべきであるというものである。
応能原則
税制の公平を評価するもう一つの方法は応能原則と呼ばれ、どれだけの負担ができるかに応じて課税されるべきであるというものである。
応能原則は、垂直的公平と水平的公平という公平の概念の二つの系につながっている。垂直的公平とは、高い支払能力(担税力)を持つ納税者は、多くの金額を供出すべきだということで、水平的公平とは、同じような担税力を持つ納税者は、同じ金額を供出すべきだということである。
垂直的公平
もし税が担税力に基づくのであれば、豊かな納税者は貧しい納税者よりも多く支払うべきである。しかし、豊かな人はどれくらい多く支払うべきなのだろうか。
上の図の三つの税制について考察してみる。どの税制においても、高所得者の納税者ほど支払金額が多い。第1の制度は、すべての納税者が所得の一定割合を支払うために比例税といわれる。第2の制度は高所得の納税者のほうが高額の税金を支払うが、所得に占める割合が小さくなるために逆進税といわれる。第3の制度は、高所得の納税者ほど税金が所得に占める割合が大きくなるために累進税といわれる。
水平的公平
もし税が支払能力に基づくのであれば、同じような納税者は同じような額の税を支払うべきである。しかし、2人の納税者が同じかどうかは何によって決まるのだろうか。各家庭は多くの点で異なる。税法が水平的に公平であるか動画を評価するには、どの違いが世帯の支払能力と関係があり、どの違いが関係ないのかを決めなければならない。
こうした問題に対する簡単な答えはなく、実際に所得税は家庭の置かれている状況に基づいてその税額を変える特別な条項がたくさんある。
まとめ
政策立案者は税法の変更を考える際、しばしば効率と公平との間のトレードオフに直面する。租税政策についての論争の多くは、人々がこの二つの目的を置くウエイトが異なることから生じる。
今日はここまで、それじゃあまた。次回は「生産の費用」について
『マンキュー経済学 ミクロ編[第3版]』を分かりやすく説明する。Part11
こんにちは。
今日もさっそくやっていきます。
昨日は疲れてて更新できませんでしたごめんなさい🙇♂️
第11章 公共財と共有資源
様々な種類の財
財には様々な種類のものがあり、それは排除可能か、競合的であるかどうかによって区別される、
排除可能とは、他の人が利用できないようにすることができるという財の性質。
競合的とは、ある人がその財を使用することによって、他の人がその財を利用できる量が減少するという財の性質。
以上の排除可能性と消費における競合性という二つの性質から財を分類すると、以下の図のように4種類の財になる。
1、私的財
私的財は排除可能であり、消費において競合的である。例えば、アイスクリームは他の人がアイスクリームを食べられないようにすることができるので、排除可能である。また、アイスクリームを食べると他の人がそのアイスクリームを食べることは出来ないので競合的である。ほとんどの財は私的財である。
2、公共財
公共財は排除可能でも消費において競合的でもない。人々が公共財を利用することは妨げることはできないし、ある人が公共財を使用したからといって、他の人が利用できる量が減るわけではない。
3、共有資源
共有資源は消費において競合的ではあるが排除可能ではない。たとえば、ある人が魚を獲ると、他の人が獲ることの魚の量は少なくなる。しかし、みんなに魚を獲れないようにすることは難しいので、排除可能ではない。
4、クラブ財
クラブ財は、排除可能ではあるが消費において競合的でない財のことである。たとえば、消防活動である。同じタイミングでの消防活動はできないので、この財を他者が利用するのを排除することは容易である。しかし、消防は消費において競合的ではない。この財については第15章で再び議論する。
上の図で4つのカテゴリーはきれいに分類されているが、カテゴリーの間の境界は曖昧なことがある。例えば3の例で出した魚は大海で漁の監視をすることは非常に難しいため海にいる魚は排除不可能であるかもしれないが十分に大きな規模の海洋警備隊をもってすれば少なくとも一部の魚を排除可能とすることができるだろう。同様に、魚は一般的には消費において競合的であるが、もし漁師の人口が魚の数に比べて少なければそうではなくなる。
この章では、排除可能ではない公共資源と共有資源について検討する。
公共財
公共財とは上述したとおり、排除可能ではなく、競合的でもない財のことである。例えば、花火大会は他人が花火にみられないようにすることはできないので、排除可能ではなく、またある人が花火を楽しんでも他の人の楽しみは減少しないので消費において競合的でもない。
フリーライダー問題
花火大会を開くとして、潜在的な顧客は、チケットがなくても花火大会を見ることができると気づくので、主催者は大変な苦労をするはずである。
人々はフリーライダーになろうというインセンティブをもつ。フリーライダー(ただ乗り)とは、ある財からの便益を得るが、それに対する支払いをしない人のことである。
たとえ花火大会が社会的に望ましいものであっても、収益をもたらさない。その結果、主催者はは花火大会を開催しないという、私的には合理的であるが社会的に非効率な決定を行うのである。
これに対する解決法は、地方自治体がその花火大会のスポンサーになり、市民の税金を市民が感じる花火大会に対する便益の価値より下回る量引き上げることで厚生が改善する。
すなわち、公共財は排除可能ではないので、フリーライダー問題が発生して民間市場では供給されない。しかし、政府は潜在的にその問題を解決する力を持つ。公共財の総便益が総費用を上回ると判断すれば、政府は税収を使ってその公共財を提供し、すべての人の厚生を改善することができる。
いくつかの重要な公共財
国家防衛…国家が防衛されるという便益の享受を妨げられる人は誰一人いない。さらに、ある人が国家防衛の便益を享受しているからといって、他の人の便益が減ることもない。このように国家防衛は排除可能ではなく、消費において競合的でもない。
基礎研究…知識は研究を通じて創造する。知識創造を目的とした公共政策が適切であるかどうかを評価するには、一般的な知識と特定の技術的知識とを区別することが重要である。特定の技術的知識は特許を取得することによって排除可能である。一方、一般的な知識は公共財である。一般的な知識は特許をとることができない。そのため、便益を測定するは難しいため、こうした努力にどれだけの水準の政府援助を行えば適切なのかを決めるのは困難である。
貧困撲滅…ある人が貧困のない社会に住めるようになることで、他の人が貧困のない社会に住めなくなるわけではないという点で競合的ではない。また、ひとたび貧困がぼくめつされると、この事実から喜びを得ることを誰からも妨げられないという点で排他的ではない。
フリー問題のために、民間の慈善行為を通じて貧困を撲滅することはおそらくうまくいかない。しかし、政府が富裕者に課税して貧困の生活水準を高めることで、全ての人の厚生を改善できる可能性がある。
共有資源
共有資源は公共財と同じく排除可能ではない。利用したい人は誰でも無料で利用できる。しかし、ある人が共有資源を利用すると、他の人々が共有資源を利用できる量が減少するという点で、競合的であるといえる。
共有地の悲劇
たとえば、共有地である牧草地に複数の農民が牛を放牧する。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになる。
このように、ある人が共有資源を利用すると、他の人々がそれを利用できる量は減少する。この負の外部性のために共有資源は過剰に利用される傾向がある(共有地の悲劇)。政府は規制をしたり課税によって共有資源の消費を減少させることで問題を解決できる。
多くの人が共有するものには注意が払われない。なぜなら人は他人と共有するものよりも、自分の所有するもののほうにより大きな関心を寄せるからである。
いくつかの重要な共有資源
きれいな空気と水…きれいな空気と水は自由に利用できる共有資源であり、過剰汚染排出現代の共有地の悲劇であるといえる。
交通渋滞…道路が渋滞していれば、その道路を利用することは負の外部性を生み出す。ある人がその道路を車で走行すると、道路はますます渋滞し、他の人たちはさらに車のスピードを遅くしないければいけないという点で交通渋滞は共有資源といえる。交通渋滞の問題への対応策の一つはドライバーに通行料を課すことである。通行料は本質的に渋滞の外部性に対する矯正税である。もう一つの対応策はガソリンに課税することである。ガソリンは車の運転の補完材なので交通渋滞を緩和する。
魚、鯨、および他の野生動物…魚や鯨は商業的な価値を持ち、誰でも海へ行き、獲れるだけ獲ることができる。過剰な漁や捕鯨は商業的に価値のある海中の生物を絶滅させる可能性がある。
海は規制が少ない共有資源で、規制をするには二つの問題がある。一つは、多くの国が海に面しているので、海に対する価値の異なる国々の国際的な協力がどのような解決にも必要である。もう一つは、海は非常に広大なため、どのような協定も強制することは困難である。
今日はここまで。
文字数多くて読みづらいかも…😅😅
それじゃあまた。
『マンキュー経済学 ミクロ編[第3版]』を分かりやすく説明する。Part10
こんにちは!
今日もさっそくやっていきます。
今日から第Ⅳ部😂
はりきっていきましょう〜!!
第10章 外部性
第1章に登場した経済学の第十原理の第7原理に登場した市場の失敗の原因のうち、この章では外部性について、説明していきます。
第1章が分からない人はこちらから。
外部性とは、ある活動に従事する人が周囲の人の厚生に影響を与えるが、その影響に対する補償を支払うことも受け取ることもないときに生じる。周囲の人に対する悪影響を負の外部性といい、好影響を正の外部性という。
外部性が存在する場合には、市場の成果に対する社会的関心は、市場に参加する売り手と買い手の厚生を超えて、間接的に影響を受ける周囲の人々の厚生にまで及ぶ。売り手と買い手は、需要量と供給量を決めるにあたって、自分たちの及ぼす外部効果を無視する。そのため、外部性が存在するときには、市場均衡は効率的ではない。すなわち、均衡は社会全体の総利益を最大化できない。
負の外部性
ある活動が汚染排出のような負の外部性が生じると、生産に要する社会にとっての費用は生産者にとっての費用よりも大きい。財の生産に要する社会的費用は、生産者の私的費用に加えて、汚染の悪影響を受ける周囲の人々にかける費用を含んだものである。外部性の費用の分、供給曲線は上方に移動するので、最適生産量は均衡生産量よりも少なくなる。
正の外部性
さまざまな活動のなかには、第三者に費用を強いるものもあるが、恩恵を与えるものもある。
例えば教育。高い教育を受けた人が、学識豊かな有権者となり、すべての人にとってすぐれた政府をつくることや、高い教育を受けた人の犯罪率が低い傾向があることや、高い教育を受けた人が技術進歩の開発や普及を促進し、すべての人に高い生産性と高い賃金をもたらす。
このような正の外部性を持つ財の需要曲線は消費者の私的価値に加えて外部性の便益の分、上方に移動するので、最適生産量は均衡生産量よりも多くなる。
外部性の内部化
外部性によって最適な生産量からズレるということが分かったが、それではどのようにすれば最適な結果に到達するのだろうか。負の外部性が生じる財の生産について課税することによって供給曲線を上方にシフトさせると新しい供給曲線は社会的費用曲線に一致させることが出来る。
このような税の活用の仕方を外部性の内部化という。
政府は負の外部性を持つ財に課税し、正の外部性を持つ財に補助金を支給することで、外部性を内部化することができる。
外部性に対する公共政策
一般的に、外部性に対して政府ができる方法は二つある。一つは指導・監督政策でもう一つは市場重視政策である。
指導・監督政策:規制
政府は、ある種の行動を要求したり禁止したりすることによって外部性を改善することができる。たとえば、有害な化学物質を上水道に投棄することは犯罪である。このように政府が規制をつくることで改善する事が出来る。
市場重視政策1:矯正税と補助
すでにみたように、政府は負の外部性を持つ外部性を持つ活動に課税し、正の外部性を持つ活動に補助を与えることによって外部性を内部化することができる。負の外部性の影響を矯正するための課税は矯正税と呼ばれる。また、早くからその利用を提唱していた経済学者アーサー・ピグーの名前にちなんで、ピグー税と呼ばれる。
市場重視政策2:売買可能な排出権取引
汚染物排出の権利を限定数発行すれば、政府は環境を保護することができる。矯正税は汚染を排出する企業は政府に税金を支払わなければならない。排出権取引の場合には、汚染を排出する企業は排出権を手に入れるために支払いをしなければならない。このような点で排出権取引は汚染排出者に矯正税を課すこととほとんど変わらない。
外部性に対する当事者間による解決方法
外部性の影響を受ける人たちがその問題を当事者間で解決できることがある。
たとえば、ある企業が他の企業に対して外部性をもたらすとき、二つの企業は合併によって外部性の内部化することができる。あるいは、利害関係者たちは契約を結ぶことによって問題を解決することが出来る。
経済学者ロナルド・コースにちなんでコースの定理と名付けられた有名な結果は、状況によっては民間市場が非常に有効になりうると示唆した。コースの定理によると、民間の当事者たちが資源の配分について費用をかけずに交渉することができれば、外部性の問題はつねに民間市場で解決することができ、資源は効率的に配分される。
コースの定理が当てはまるのは利害関係を有する当事者たちが問題なく契約に到達し、執行できる場合のみである。しかし、世の中ではお互いにとって有益な契約が出来るときでさえ、交渉が必ずしも上手く機能しないことがある。
利害関係を有する当事者たちは、取引費用のために外部性の問題の解決に失敗する。取引費用とは当事者たちが契約に合意し、それを遂行する過程で負担する費用のことである。たとえば、話す言語が異なる場合の翻訳にかかる費用、契約書をつくり契約を実行する際に必要な弁護士の支出などである。
この章は文字数多くて大変でした( •̥ ˍ •̥ )
それではまた今度。
『マンキュー経済学 ミクロ編[第3版]』を分かりやすく説明する。Part9
こんにちは。
今日もさっそくやっていきます。
今日で第Ⅲ部が終わります!
この本は第Ⅶ部で終わるのでそろそろ半分だ〜😂笑
第9章 応用:国際貿易
第3章で相互依存と交易(貿易)は、より多くて多様な財・サービスをすべての人々が享受できるようになるので、望ましいことであると結論づけた。
第3章を知らない人はこちらから。
貿易の輸入国、輸出国の決定の仕方
貿易がない時の均衡は、 以下の図のようになる。
自由貿易が認められた場合、世界市場で売り手になるか買い手になるかは国内の価格と世界市場で成立する世界価格を比較することで確定できる。
国内価格の方が低い場合には、その国がその財の生産に比較優位を持つので、輸出国になる。国内価格の方が高い場合には、外国がその財の生産に比較優位を持つので、輸入国になる。
世界価格>国内価格 → 輸出国
世界価格<国内価格 → 輸入国
貿易による輸出国と輸入国の消費者、生産者への影響
輸出国の利益と損失は以下の図のようになる。
貿易前の消費者余剰はA+B、生産者余剰はCになる。
貿易後の消費者余剰はA、生産者余剰はB+C+Dになる。
貿易によって消費者余剰はBだけ減少する。つまり、国内の消費者の厚生は悪化する。
貿易によって生産者余剰はB+Dだけ増加する。つまり、国内の生産者の厚生は改善する。
総余剰は貿易前がA+B+C、貿易後はA+B+C+Dなので、貿易によってDだけ増加する。つまり、Dは貿易利益を表している。
利益を得る者(生産者)の利益(B+D)が損失を被る者(消費者)の損失(D)を上回るので、貿易はその国の経済的福祉を向上させる。
貿易による輸入国と輸入国の消費者、生産者への影響
輸入国の利益と損失は以下の図のようになる。
貿易前の消費者余剰はA、生産者余剰はB+Cになる。
貿易後の消費者余剰はA+B+D、生産者余剰はCになる。
貿易によって消費者余剰はB+Dだけ増加する。つまり、国内の消費者の厚生は改善する。
貿易によって生産者余剰はBだけ減少する。つまり、国内の生産者の厚生は悪化する。
総余剰は貿易前がA+B+C、貿易後はA+B+C+Dなので、貿易によってDだけ増加する。つまり、Dは貿易利益を表している。
利益を得る者(消費者)の利益(B+D)が損失を被る者(生産者)の損失(B)を上回るので、貿易はその国の経済的福祉を向上させる。
関税について
次は、輸入財への課税、関税について考える。
関税の影響は以下の図のようになる。
上の図は世界価格が国内均衡価格よりも低い場合、輸入国になる。関税は財の輸入価格を関税の分だけ世界価格よりも高くする。
関税は価格を上昇させるので、国内需要量をQD1からQD2に減少させ、国内供給量をQS1からQD2に増加させる。したがって、関税は輸入量を減少させ、国内市場を貿易前の均衡に近づける。
関税による利益と損失
自由貿易の下では、国内価格は世界価格に等しくなる。
関税が課される前の消費者余剰は需要曲線と世界価格との間の面積であり、A+B+C+D+E+Fの面積になる。生産者余剰は供給曲線と世界価格との間の面積であり、Gの面積になる。総余剰はA+B+C+D+E+F+Gの面積になる。
関税が課された後の消費者余剰はA+Bの面積となり、生産者余剰はC+G、政府の税収は関税後の輸入量と関西の大きさの積、Eの面積になる。したがって、総余剰はA+B+C+E+Gの面積になる。
市場の総余剰はD+Fの分だけ減少する。この総余剰の減少は関税の死荷重と呼ばれる。
国際貿易のその他の利益
国際貿易によって輸入国も輸出国もその国の経済的福祉を向上させる。
他にはどのような利益をもたらすのでしょうか。
①財の種類の増加…別々の国で作られた財は、たとえ同じ種類であったとしたもまったく同じ財というわけではない。自由貿易は、すべての国の消費者に、財の選択肢の増大という恩恵をもたらす。
②規模の経済を通じて費用の低下…財のなかには、大量生産した場合のみ少ない費用で生産できるという特性を持つ財が存在する。この現象を規模の経済という。
③競争の激化…外国の競争相手から保護されている企業は市場支配力を持ちやすく、市場支配力を持つ企業は、競争均衡価格よりも高い価格を設定する力を持つ。貿易の開始は競争を促進し、アダム・スミスのいう見えざる手がその魔法を駆使する機会を増やす。
④すぐれた知識の流入の促進…技術進歩の世界中への伝播は、しばしば進歩した技術を具現化した財の貿易と関連があると考えられる。
貿易制限を支持する議論
①雇用の議論…外国との貿易によって国内の雇用が失われると主張される。しかし、自由貿易は雇用を喪失させると同時に雇用を創出する。その国ではその国の比較優位を持つ産業に移動する。貿易による利益は絶対優位ではなく、比較優位に基づいている。
②安全保障の議論…例えば、他国に鉄鋼の供給に依存していた場合、戦争が勃発した時、自衛に必要な武器や鉄鋼を生産できないと主張される。経済学者も、国家安全保障について正当な重要性があるときには、重要な産業を保護することが適切かもしれないことは認めている。しかし、経済学者はこの議論が消費者を犠牲にして利益を追求する生産者たちにあまりにも安易に用いられる可能性があることを危惧する。軍も消費者であるという視点からみてみると、輸入から利益を得るだろう。
③幼稚産業論…新しい産業は、その産業の立ち上げのために一時的な貿易制限が主張される。しかし、どの産業が利益をもたらすかを判断するか難しい。また、長期的に利益を得られると信じられる理由があるとすると、企業の所有者は最終的な利益を得るために、一時的な損失を喜んで負うべきである。
④不公正競争…自由貿易が望ましいのは、全ての国が同じルールの下にあるときのみで、異なる国の企業が異なる法律や規制下にあるときには、国際市場における企業の公正な競争は期待できないと主張される。例えば、助成された価格である財を買うことは、輸入する国の生産者は被害を受けるがその分消費者は便益を得る。つまり、自由貿易のケースとまったく変わりがない。
以上のように貿易制限を支持するさまざまな議論がある。これらの議論のなかには、状況によってはメリットを持つものもあるが、経済学者は通常、自由貿易のほうがよい政策であると考えている。
本日はここまで。今回は写真も多いし、文字数も多いし、骨の折れるブログでした🤧🤧
それではまた今度!
『マンキュー経済学 ミクロ編[第3版]』を分かりやすく説明する。Part8
こんにちは。
今日もさっそくやってみます。
昨日の続きからやっていきます。
第8章 応用:課税の費用
税は現代社会に大きな影響を与える。第6章で税への課税が価格や販売量にどのような影響を及ぼすのか、また需要と供給の作用が税の負担を売り手と買い手にどのように分担させるのかをみた。
第6章の内容はこちらから。
この章では分析を拡張し、課税が厚生に与える影響、すなわち課税が市場の参加者の経済的福祉にどのような影響を及ぼすのかをみる。
政府の税収は、税の大きさ×時の販売量になるので、下の図の赤く塗りつぶしたところになる。
税の有無による総余剰の変化
税がない時、ある時の消費者余剰、生産者余剰、総余剰について計算する。
第7章でやった通り計算していく。
第7章が分からない人はこちららから。
税がない時、
消費者余剰=買い手にとっての価値-買い手が支払った金額
生産者余剰=売り手が受け取った金額-売り手の費用
総余剰=買い手にとっての価値-売り手の費用
になるので、消費者余剰がA+B+C、生産者余剰がD+E+F、総余剰がA+B+C+D+E+Fになる。
税がある時、
消費者余剰は売り手が受け取った金額から供給曲線までの差なので下の図のFになる。
生産者余剰は需要曲線から買い手が支払った金額の差なので下の図のAになる。
税がある時の総余剰を計算するには、消費者余剰、生産者余剰、税収を足し合わせればいいので、A+B+D+Fになる。
課税によって、消費者余剰はB+Cだけ減少し、生産者余剰はD+Eだけ減少し、税収はB+Dだけ増加する。
この3つを足し合わせるとC+Eだけ減少する。
このように税による売り手と買い手の損失(B+C+D+E)は政府の税収(B+D)を上回る。
税(あるいは他の何らかの政策)が市場の成果を歪めることによって生じる総余剰の減少を死荷重と呼ぶ。死荷重の大きさはC+Eになる。
課税が死荷重を生む理由は、買い手の消費と売り手の生産を減少させ、総余剰を最大化する水準よりも市場規模を小さくするからである。
死荷重の決定
課税による死荷重の大きさは需要と供給の価格弾力性によって決まる。需要と供給の価格弾力性は、価格の変化に対してどのくらい需要量と供給量が変化するかを表す。
弾力性についての詳しい説明はこちらから。
上の図で示されたように、税の大きさが同じ場合、需要と供給の価格弾力性が大きいほど、税の死荷重は大きくなる。
税の大きさの変化に伴う死荷重と税収の変化
市場の需要曲線と供給曲線を固定した場合、小さな税、中くらいの税、大きな税への変化によって、死荷重は需要曲線と供給曲線との間の三角形の面積になる。政府の税収は税の大きさと財の販売量の積である。
上の図のPBは買い手の支払価格、PSは売り手の受取価格、Q1は税がない時の販売量、Q2は税がある時の販売量。
aの小さな税の時、小さな死荷重と小さな税収をもたらす。bの中くらいの税は大きな死荷重と大きな税収をもたらす。cの大きな税は大きな死荷重をもたらすが市場規模を非常に縮小させるので、小さな税収しかもたらさないことを示している。
dは税の大きさが大きくなるにつれて死荷重が増加することを示している。eは税収は最初のうちは増加するが、その後減少することを示している。eのこの曲線をラッファー曲線と呼ぶ。
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