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『マンキュー経済学 ミクロ編[第3版]』を分かりやすく説明する。Part11

こんにちは。

 

今日もさっそくやっていきます。

 

昨日は疲れてて更新できませんでしたごめんなさい🙇‍♂️

 

 

第11章 公共財と共有資源

様々な種類の財

財には様々な種類のものがあり、それは排除可能か、競合的であるかどうかによって区別される、

排除可能とは、他の人が利用できないようにすることができるという財の性質。

競合的とは、ある人がその財を使用することによって、他の人がその財を利用できる量が減少するという財の性質。

以上の排除可能性消費における競合性という二つの性質から財を分類すると、以下の図のように4種類の財になる。

 

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1、私的財

私的財は排除可能であり、消費において競合的である。例えば、アイスクリームは他の人がアイスクリームを食べられないようにすることができるので、排除可能である。また、アイスクリームを食べると他の人がそのアイスクリームを食べることは出来ないので競合的である。ほとんどの財は私的財である。

 

2、公共財

公共財は排除可能でも消費において競合的でもない。人々が公共財を利用することは妨げることはできないし、ある人が公共財を使用したからといって、他の人が利用できる量が減るわけではない。

 

3、共有資源

共有資源は消費において競合的ではあるが排除可能ではない。たとえば、ある人が魚を獲ると、他の人が獲ることの魚の量は少なくなる。しかし、みんなに魚を獲れないようにすることは難しいので、排除可能ではない。

 

4、クラブ財

クラブ財は、排除可能ではあるが消費において競合的でない財のことである。たとえば、消防活動である。同じタイミングでの消防活動はできないので、この財を他者が利用するのを排除することは容易である。しかし、消防は消費において競合的ではない。この財については第15章で再び議論する。

 

 

上の図で4つのカテゴリーはきれいに分類されているが、カテゴリーの間の境界は曖昧なことがある。例えば3の例で出した魚は大海で漁の監視をすることは非常に難しいため海にいる魚は排除不可能であるかもしれないが十分に大きな規模の海洋警備隊をもってすれば少なくとも一部の魚を排除可能とすることができるだろう。同様に、魚は一般的には消費において競合的であるが、もし漁師の人口が魚の数に比べて少なければそうではなくなる。

 

この章では、排除可能ではない公共資源と共有資源について検討する。

 

 

公共財

公共財とは上述したとおり、排除可能ではなく、競合的でもない財のことである。例えば、花火大会は他人が花火にみられないようにすることはできないので、排除可能ではなく、またある人が花火を楽しんでも他の人の楽しみは減少しないので消費において競合的でもない。

 

フリーライダー問題

花火大会を開くとして、潜在的な顧客は、チケットがなくても花火大会を見ることができると気づくので、主催者は大変な苦労をするはずである。

人々はフリーライダーになろうというインセンティブをもつ。フリーライダー(ただ乗り)とは、ある財からの便益を得るが、それに対する支払いをしない人のことである。

たとえ花火大会が社会的に望ましいものであっても、収益をもたらさない。その結果、主催者はは花火大会を開催しないという、私的には合理的であるが社会的に非効率な決定を行うのである。

これに対する解決法は、地方自治体がその花火大会のスポンサーになり、市民の税金を市民が感じる花火大会に対する便益の価値より下回る量引き上げることで厚生が改善する。

 

すなわち、公共財は排除可能ではないので、フリーライダー問題が発生して民間市場では供給されない。しかし、政府は潜在的にその問題を解決する力を持つ。公共財の総便益が総費用を上回ると判断すれば、政府は税収を使ってその公共財を提供し、すべての人の厚生を改善することができる。

 

いくつかの重要な公共財

国家防衛…国家が防衛されるという便益の享受を妨げられる人は誰一人いない。さらに、ある人が国家防衛の便益を享受しているからといって、他の人の便益が減ることもない。このように国家防衛は排除可能ではなく、消費において競合的でもない。

 

基礎研究…知識は研究を通じて創造する。知識創造を目的とした公共政策が適切であるかどうかを評価するには、一般的な知識と特定の技術的知識とを区別することが重要である。特定の技術的知識は特許を取得することによって排除可能である。一方、一般的な知識は公共財である。一般的な知識は特許をとることができない。そのため、便益を測定するは難しいため、こうした努力にどれだけの水準の政府援助を行えば適切なのかを決めるのは困難である。

 

貧困撲滅…ある人が貧困のない社会に住めるようになることで、他の人が貧困のない社会に住めなくなるわけではないという点で競合的ではない。また、ひとたび貧困がぼくめつされると、この事実から喜びを得ることを誰からも妨げられないという点で排他的ではない。

フリー問題のために、民間の慈善行為を通じて貧困を撲滅することはおそらくうまくいかない。しかし、政府が富裕者に課税して貧困の生活水準を高めることで、全ての人の厚生を改善できる可能性がある。

 

 

共有資源

共有資源は公共財と同じく排除可能ではない。利用したい人は誰でも無料で利用できる。しかし、ある人が共有資源を利用すると、他の人々が共有資源を利用できる量が減少するという点で、競合的であるといえる。

 

共有地の悲劇

たとえば、共有地である牧草地に複数の農民が牛を放牧する。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになる。

このように、ある人が共有資源を利用すると、他の人々がそれを利用できる量は減少する。この負の外部性のために共有資源は過剰に利用される傾向がある(共有地の悲劇)。政府は規制をしたり課税によって共有資源の消費を減少させることで問題を解決できる。

多くの人が共有するものには注意が払われない。なぜなら人は他人と共有するものよりも、自分の所有するもののほうにより大きな関心を寄せるからである。

 

いくつかの重要な共有資源

きれいな空気と水…きれいな空気と水は自由に利用できる共有資源であり、過剰汚染排出現代の共有地の悲劇であるといえる。

 

交通渋滞…道路が渋滞していれば、その道路を利用することは負の外部性を生み出す。ある人がその道路を車で走行すると、道路はますます渋滞し、他の人たちはさらに車のスピードを遅くしないければいけないという点で交通渋滞は共有資源といえる。交通渋滞の問題への対応策の一つはドライバーに通行料を課すことである。通行料は本質的に渋滞の外部性に対する矯正税である。もう一つの対応策はガソリンに課税することである。ガソリンは車の運転の補完材なので交通渋滞を緩和する。

 

魚、鯨、および他の野生動物…魚や鯨は商業的な価値を持ち、誰でも海へ行き、獲れるだけ獲ることができる。過剰な漁や捕鯨は商業的に価値のある海中の生物を絶滅させる可能性がある。

海は規制が少ない共有資源で、規制をするには二つの問題がある。一つは、多くの国が海に面しているので、海に対する価値の異なる国々の国際的な協力がどのような解決にも必要である。もう一つは、海は非常に広大なため、どのような協定も強制することは困難である。

 

 

 

 

今日はここまで。

 

文字数多くて読みづらいかも…😅😅

 

それじゃあまた。